04 Interview
TOMOTATSU GIMAインタビュー

 

Part.1 儀間朝龍が見つけた、ダンボールから広がる創造の世界
破棄されたダンボールを再利用して、ポップアートを制作する、アーティスト儀間朝龍(ぎま ともまつ)さん。アメリカン・ポップカルチャーを好み、マイケル・ジョーダンを愛し、生まれ育った沖縄や、学生時代に過ごしてきた地で目にしてきたさまざまな光景や体験を、アートへ転化。それを10代の頃から念頭においている環境問題とリンクをさせ、作品を作り続けている。この度「STRAYM」では、エクスクルーシブで「NIKE “AIR JORDAN 1 - TRAVIS SCOTT”」と、「NIKE “CORTEZ KENNYIII - KENDRICK LAMAR”」をモチーフに作品制作を儀間さんへ依頼。「ヒップホップ・アーティストの世界的影響力がロックミュージシャンを超えたと実感した中、その象徴的な2人のモデルを制作いただきました」(STRAYMディレクター岡沢高宏)という趣旨の元に出来上がった作品は、現在「STRAYM」にて出展されている。 (Interviewer : KANA YOSHIOKA)

―― 最初にプロフィールを教えていただけますでしょうか?

儀間朝龍 沖縄県の、今ないですけど知念村という田舎に生まれました。今は合併して市になったんですけど沖縄本島の那覇から東の方に約1時間ぐらい車で行ったところで、自分が子供の頃は本当に海と山といった自然しかなくて、いわゆるスーパーやデパートなどの店舗はほぼないような、そういうところで育ちました。
なので、外の世界の情報はテレビから得ていた部分は大きかったんですけど、幼少期に親戚の叔父さんがレーザーディスクを持っていて、週末は彼の家で映画をよく観ていたんです。ハリウッド映画が中心だったんですけど、そのときに見た映画の影響が今の活動にも非常につながってると思うことはたくさんありますね。ただ本当に住んでいるところが田舎だったので、隣町に行ってもすごく感動していたし、那覇へ行ったら物が多すぎて「なんだ、ここは 」って、外の世界に対してはそんな感じでした。

―― 1976年生まれですが、子供の頃にレーザーディスクで観ていた映画は80年代の映画が中心でしたか?という感じですよね。

儀間朝龍 そうですね。『ゴーストバスターズ』、『ターミネーター』、『スターウォーズ』とか、そういう名だたる映画を部屋という小さな空間で観ていました。あの頃のレーザーディスクって、直径が30センチくらいあって大きいじゃないですか。あのキラキラした中にどうやって映画が入っているんだとか、透けて見えるんじゃないかとか、あの1枚にいろんな魅力が僕の中にはすごくあって本当に不思議でしたね。だからすごく楽しかったです、あの時間は。

―― その頃から絵は描かれていたんですか。

儀間朝龍 頑張って絵を描いていた意識はなかったんですけど、絵を描きだしたきっかけがあって、僕は運動ができなかったんですね。運動ができなさすぎて、周りの友だちとうまく遊べなかったんです。鬼ごっこでさえも。もう鬼ごっこをするとずっと鬼で、泣きながら家に帰って、お母さんが出てきて友だちに向かって、「手加減して遊んでね」みたいなこと言われるぐらい運動ができなくて、それがすごい正直コンプレックスとしてあったんです。だから運動ができるスポーツ選手に非常に強い憧れがあるんですけど、スポーツができない中、友だちとマンガの真似をして模写を描いていた時期に、「上手だな」と 言われて、そのときに好きだったのは『ドラゴンボール』だったんですけど、それを模写して見せたら褒められるようなことが高学年になって増えてきて、絵を描くことが楽しいなと思うようになったんです。運動できなかったことが、絵を描く結構大きなきっかけになっているんです。

―― そうなんですね。できなかったことから、できることを見つけてしまったんですね。実際に作品を作ってみたいと思ったのは、そこから間もなくしてですか?

儀間朝龍 もう一つ大きな出会いがあって、それは中学のときの美術の先生なんですけど、僕が熱心に絵を描いてたんでしょうね。それに気付いて、「コンクールに出してみない 」と、僕にだけ声かけてくれたんです。それで賞がもらえたときに感じたことが、周りの同級生や大人からの感想よりも、賞状1枚を手にするとリアルに感じるというか・・・ 自分の能力ってこういうところにもあるんだってことに気付き始めたときに、その先生が担任になってくれたことによって、コンクールに出す機会が増え、周りから「美術系の高校に進んだほうがいいよ」という声が出てきて、進学先を決めたんです。

―― 先生が儀間さんの才能に気づいていらっしゃったんですね。

儀間朝龍 恐らくそうだと思います。その先生との出会いがなかったら、違う道を行っていたかもしれないですね。

―― そこからダンボールを素材に使用することに気づいたと思うんですが、沖縄という土地柄、米軍基地があることから他の日本よりもアメリカ文化を身近に感じたり、他のアジアにも近いことから、沖縄だからこそ手に入ったダンボールがあるのではないかと思います。ご自身が育ってきた沖縄の風土や文化を、どのように表現してきたと思われますか?

儀間朝龍 沖縄には、実際今も米軍基地があるので、アメリカ文化を目にする機会は、日本のよその県よりは多いと思います。ただ僕が育った地元は基地はなかったので、正直そういった光景を見る機会は少なかったんですが、家族でドライブに行くと、父が「こういうところもあるよ」と、基地のある周辺の町へ連れていってくれたんですね。そのときに普段住んでる場所とあまりにも違うし、しかも観ていた映画の世界に近くて、外人は多いし、英語の看板あるし。 食べ物とか缶詰めもそうですけど、キャンベルスープを普通に飲んでたりとか、同じ島にこんな別世界があるのかと、強く感じたことをすごく覚えています。

―― 環境が違う感じだったんですね。

儀間朝龍 そうやってアメリカ文化は小さいときから感じていて、高校に入ったときに僕は本当に勉強がしたくなくて、絵だけやっていきたいと思ってたんですね。それで勉強していく中で、絵画の中にもジャンルがあることを知って、高校の本棚にあったPOP ARTと書いてある本を手にしたときに、アンディ・ウォーホルのキャンベルスープやコカ・コーラとか、いろんな作家さんたちが、僕の周りにある見たことのあるモチーフを使って作品を作っていることを知ったんです。それでよくよく見てみると、すごくかっこいいことに気が付いて、自分の周りにはそういったものがいっぱいあるんだと町の見方も変わってきて、そこからポップアートというものが自分の中に入ってきたんです。それと同時に、高校2~3年生ぐらいから、環境問題が強く言われるようになって、自分も自然を守る的な作品をよく作ってたんですね。それもあり環境問題に対してはその頃から意識は高かったと思いますし、ダンボールに対しても自然と目がいったのではないかなと思います。

―― ダンボールで実際に作品を作りはじめたのはいつ頃だったんですか?

儀間朝龍 28~29歳のときにニューヨークに住んでいて、帰って来てしばらくしてから、那覇の公設市場の近くに倉庫街があって、そこにアトリエを構えたんです。その場所は、夕方になると市場のすぐ横にダンボールのごみ山ができるんですよ。それを毎日目にしていて、よく見ると英語とかいろんな文字で書かれていて、いろんな国から到着していることがわかってきて、それを使ってなにかできないかなとしばらく考えていたんです。

―― アートに環境問題を取り入れていくことは、高校生のときから常に念頭にあることなのですね。

儀間朝龍 高校生の頃から、作品でなにか表現できないかなとは思っていたんですけど、描いて訴えるだけよりも、行動に移すことも大事だなと思い始めたのが大学生の頃で、僕は名古屋芸大という大学に行っていたんですけど、住んでいた町が毎年5月30日付近になると「ゴミゼロ運動」といってゴミ拾いをやっていたんです。それを見て、行動することだよなと思いまして。それで実は僕、誕生日が5月30日なんですね 笑 。ごみ問題に興味があって、5月30日に生まれて、なにかしないわけにはいかないっていう勝手な使命感が僕の中に出てきまして、だけど、しばらくは本当になにもできなくて。沖縄に戻って市場の近くにアトリエを持ってからも、アクリル絵の具とかで描いてたんですけど、環境を意識しているのに、自らゴミを作ってるんじゃないかと思うようになって、絵の具が触れなくなってきてしまったんです。それをごまかすかのように、ダンボールに色鉛筆で描いたりし始めて、そんなときに2009年の雨の日に、濡れたダンボールを市場で見かけまして。

―― しなしなになってしまっているようなダンボールですか?

儀間朝龍 そうです。そしたら一枚一枚くっついていたダンボールの端っこが、上に向かって剥がれていたんです。それを見て、ダンボールって水に浸けたら一枚ずつの紙になるのではと思って実験をしてみたら、簡単に剥がすことができたんです。そのことが制作の大きなきっかけにもなっているんですけど、そのへんにあるダンボールを拾って水に浸けるだけでいいし、使ったあとはリサイクルできるし、こんなにいい紙はないなと思って、そこからそれに絵を描きはじめて、さらにもう少しなにかできないかなと思ってノートを作ってみたり、レターセットや封筒にしてみたりと自分の中で楽しんでいたんです。 それでこのアイデアをもう少し広めたほうがいいのではと思うようになって、例えばこのアイデアを使えばお金をほぼ掛けずにノートやレターセットを作れるし、例えばワークショップなどもできていい波及効果があるんじゃないのかなとか。

―― ダンボールは国によってどんな紙質の特徴がありますか?

儀間朝龍 大きく特徴のある国もありますが、日本のダンボールは綺麗です。印刷の文字も、色もずれていないし完璧にできているんですけど、反対に触っていて紙質がよくないなと思ったのが、一部の中国やインドのものだとか。それこそ溶けてしまうんじゃないかという紙もあったり。海外から日本にやってくる流通向けに作られていたダンボールって厚みがあるんですよ。硬くて日本国内のダンボールとも違うし、タイとかだと黄色っぽいとか、剥がした後の糊の色を見るだけでどこの国かわかったり。そうやってマニアックなところを、自分1人で楽しんでいるんです(笑) 。

―― マニアックですね(笑) 。性質の違うダンボールを使用していると、紙の素材の違いによって制作の方向性も少しづつ異なるのかなと思うのですが、例えばスニーカーをモチーフにした作品に関しては、メイドインUSのスニーカーであれば、メイドインUSのダンボールを使用していたりしますか?

儀間朝龍この間、発表をしたニューバランスの靴なんですけど。それは自分で買ったニューバランスの箱いくつかあったのでそれを素材に作りました。あと、今回「STRAYM」で制作したジョーダンシリーズはUSAメイドではないんですけど、USA企画ということで、USAとプリントされている文字の部分を切りとって、作品の中に入れ込むというような工夫はしていました。

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Part.1 儀間朝龍が見つけた、ダンボールから広がる創造の世界
Part.2 儀間朝龍が見つけた、ダンボールから広がる創造の世界

Profile

儀間朝龍 TOMOTATSU GIMA

1976年生まれ。沖縄県出身。1999年名古屋芸術大学美術学部を卒業後、2004年より一年のニューヨーク留学を経て、沖縄へ帰国後、 アーティストとして本格的に活動をスタート。
数々のグループ展への参加を経て、2018年に「Bギャラリー」にて"流通"と"消費"をテーマに初個展『SOME POP』を開催し注目を浴びる。また使用済みのダンボール素材を再利用して制作したノートなどを販売するブランド 「rubodan」を主催。
アジア各国を訪問するなどしてワークショップを開催したり、廃棄物ゼロを目指しオリオンビールとタッグを組みダンボールを再利用したステーショナリーセットなども販売している。

http://gimabox.com

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